呼出し太郎一代記、14

前原太郎

七、再出発、後編

記者クラブ詰めの貧乏役

 大阪でさんざん苦労もし、バカもした私だが、出羽ノ海さんや大阪方親方衆が苦労して、せっかく成り立った立派な相撲協会の呼出しの一員となった以上、今までのようなチャランポランの生活を続けたのでは役員衆にも申し訳がない。

ここらでひと働きしなくちゃアと、心には期するところもあったのだが、さて中にはいって働いてみると、大阪から来た者やはりそれだけ引け目もあって、なかなかひと通りの苦労ではなかった。

しかも、最初に私がぶつかった難関は、新聞記者クラブ詰めという役目である。これがどうして実にうるさいところで、どんなやつが行ったって、今まで一人も辛棒ができなかったという、われわれ呼出し仲間で評判の鬼門であった。

 東京夕刊の大久保さんという人が、まずクラブの大将格で、やまとの木村さんとか、報知の加藤さんなどという大うるさ型がそろっている。なにしろ記者諸先生は、その背景に新聞や雑誌をもっているからコワい。

ほかに例の松内さん、山本さんなども放送をやっていたし、今の東京新聞の原さんなどは、まだまだずっと下ッ端のほうだった。協会のおえら方が、「太郎、お前に折り入ってひとつ相談があるんだが、こいつはぜひひとつ聞いてくれ」
 いやにおとなしく持ちかけて来る。こっちはそんなことだとは思いもしないから、至って気軽に、

「どんな話か知りませんが、私にできることなら何でもやりましょう」
「ほかじゃないんだが、お前ひとつ記者クラブに回ってくれないか……」
 さあたいへんだ。かねてとんでもないうるさいところと知っているから、さすがの私もすっかり面食らってしまった。

「冗談じゃありませんよ親方、あんなうるさいところ、だれが行ったって逃げ出しちゃうというんでしょう。ワシのような乱暴者が、どうしたってそんな所に辛棒できやしませんよ。まアそれだけは勘弁して下さいな」
「まアそういうな。お前のいう通り、だれが行ったってみんな逃げ出して来る。女の子をやれば泣いて来る。われわれのほうでもいろいろ相談してみたんだが、これはもうお前よりほかにやりようがないんだ、何とかひとつやってくれ」と、役員衆からしいての頼みだ。

「そうですか。そんなにまで、いわれるなら、とても辛棒はできないと思うけれども、何とかひとつ、この場所だけやりましょう。ほんとにこの場所だけですぜ」
「お前が引き受けてくれれば、こんないいことはない。それじゃこの場所だけでもせめてやってくれ」
ということで、しょうことなしに記者クラブ詰めを引き受けてしまった。

 この記者クラブというのが、また実にとんでもない殺風景なところで、昼飯を食うといったってただお茶を出すだけ、お客が来たって下駄なんぞ放りっぱなしだ。そこで私は大久保さんに、
「先生、こんな殺風景な所ってありゃしない。これじゃ駄目ですよ」
といって、徐々に改良していったが、だれも辛棒できなかったクラブ詰めを、私だけはとうとう今日までやり切ってしまった。記者さんたちが気に入ったか入らなかったか知らないが、ともかく相撲記者クラブらしいものに、だんだんとなっていったから不思議である。

大久保さんというお人

 この大久保さんという人は兄さんが王子製紙の重役とかで、実に威張ったものであった。記者クラブを一人で牛耳っていたようなもので、取締だろうが、親方だろうが、横綱だろうが、この人にかかったら何ものも眼中にないような有様だった。そういう横着といえば横着な、傍若無人のような人でありながら、私などにはよく気をきかしてくれて、非常によくしてくれる時もあった。毎日の相馬さん、読売の江馬さんなどは、まだ若手だった。

ある日大久保さんが、「オイ太郎、芝居の切符やろうか」
「へえ、ありがとう、いただきましょう」
 見ると歌舞伎座の招待券だ。さっそく歌舞伎座へ行って、こっちは招待券だから大きな顔をして切符を出すと、
「旦那、これはもう目が過ぎているからいけませんよ」と突っ返しゃがる。

「冗談いっちゃいけねえ、新聞社の大久保さんからもらったばかりだよ。大久保さんともあろう人が、おれたちをカツグ訳がない。これではいれるから行って来いといってくれたんだから……」

「新聞社のどなたか知らないが、とにかくこれはもう日が過ぎていますからだめです」 押問答のすえ「それじゃここで」といって後ろの方に立たしゃがった。私もクソおもしろくないから、ブリブリして帰って来ちまった。

「先生、せっかくあなたにもらったんですが、これはだめですよ、日が切れているからって……」
「ナニッ、だめだって?……そんなバカなはずはねえ、大久保からといったか」

「ええ、言いましたとも…。わしがあんまり新聞社の大久保というもんだから、それじゃここで見ろといって、後ろの方に立たされました。立って見たっておもしろくねえから帰っちゃいましたよ」
「そうか、よし……」
 さっそく電話をかけて、何とかいうのに直ぐ来いという……。向こうのやつは驚いてすぐやって来た。

「オイオイ、おれんとこの若い者に、ふだをやって見せてやろうとしたのに、後ろの方に立たしたというじゃないか。何でおれの顔に泥を塗ってくれたんだ」
「それは先生、どうもまことに申し訳ありません。事務員がわからないもんですから……」

「よくもまァ、おれの顔をつぶしてくれたな」とやっつける。向こうの社員はすっかり面食らっちゃって、低頭・平身、おデコをすりつけてあわてて帰って行った。と間もなく、またこの男がやって来た。

「先生、先ほどはどうも……」
「どうもこうもありやしない。何しに来たんだい。日の過ぎた切符ならもう要らねえよ」と、えらく皮肉られている。
「いろいろ聞いて見ましたら、事務員がまったく知らなかったものですから……どうぞまア悪しからず」といいながら、幾らか知らないが紙に包んで出した。

「しょうがないやつだな。これから気をつけろ……」
 その男が帰ってしまうとニヤニヤ笑いながら、
「な、太郎、こういう金もうけもあるんだよ」と笑っている。

何かちょっとした協会に関係したことでもあると、
「何だこれァ……オイ取締りを呼んで来い」というようなわけで、取締りでもすぐ飛んで来たものだ。場所中だって何だって、国技館へ来ると、
「オイ、うなぎ持って来い。すし持って来い」
 だから、まるでハレ物にでもさわるようなものだ。ある時呼出しが、その人の草履を穿いて行ったことがあった。運悪く大久保さんがそのあとに出て来た。
「だれだ、おれの革履をはいてったのは……どだい、てめえたちが番してねえのが悪い。どうしたんだよ?」
と、ブツブツいってるところヘ、その呼出しが帰って来た。

「こらッ、きさまだな、おれの草履をはいて行ったのは……。人のものを黙ってはいて行くやつがあるかッ。てめえクビだ、出て行けッ」
「どうもすみません、うっかり間違えたんで……かんべんして下さい」
と、平謝まりに謝まるほかしょうがない。

先代武蔵川の話

 当時の記者席は、土俵の前に約二十人ぐらいはいれるようになっていて、ヤミの入場は一人もさせなかった。後ろのほうにちょっとすきが二人分ある。その向こうの所へ六、七人はいるような三角の場所があった。それは昔から、長谷川屋という茶屋に売ってあった。ところで、それに目をつけた大久保さんが、

「あんなものを茶屋に売ってあるなんてけしからん。クラブが狭くてしょうがないから、こっちのほうへよこせ」と、とうとう協会に談判して、それを記者クラブの席にしてしまった。そういうふうに、うっかりすると協会なんか手もなくおどかされてしまう。

 松内さんなんかまで初めのころ、記者クラブにはいって来て、
「ちょっと電話を貸して下さい」と、電話をかける。これを大久保さんジロリと見ていて、
「太郎、今のは誰だ?」
「さァ……何という人か名前はよく知りませんが……」
「知らない? あいつ一ぺん呼んで来い」

松内さんが来ると、
「こらッ、きさまはだれだ、クラブの電話なんか使って……。お前らが使う電話と違うんだぞ」
 松内さんが何か一言い訳すると、
「バカッ、文句をいうと承知しねえぞ」
机の抽出しから切り出しなんぞを取り出しながらいうものだから、みんな若い人たちは小さくなっていた。

記者クラブの隣りに角道会という会の部屋があった。ここに親爺がバクチ打ちだという近藤というやつがいてえらく威張っている。記者クラブで、大久保さんの少し大きな声が聞えると

「何だ何だ、きょうでえ、喧嘩か。喧嘩なあらやっちゃえ、やっちゃえ」
 なんて、喧嘩も何もしてもいないのに、おせっかいに出て来ては焚きつけるものだから、大久保さんもますますいい気になってしまって、だれが行っても話にならなかった。

 この記者クラブに、協会から武蔵川という親方がクラブ詰めになってやって来た。この人は日清戦争のとき、鴨緑江を船を引っ張って渡ったという功労で、金鵄勲章をもらい、熊響を鴨緑江と改めた。真面目な物固いおじいさんで、羽織、袴にカパンを提げてやって来た。

「お早うございます。太郎さん、よろしくお願いします」
と、えらいていねいな挨拶だ。クラブに来ると、ちゃんと布団を敷いてどっかとすわっている。
みんなが飯なんか食っていると、眼鏡ごしにじっと見ている。

「親方、飯を食ってるところをそんなににらまれていると、飯がうまく食えねえなア」
「いや、私は皆さんの番をしてるんだから……」
 そういう具合だ。時計が一分でも違っていると、
「太郎さん、あの時計は一分進んでいますよ。たいせつな時計ですからね。すぐ直して下さいよ」と、なかなかうるさい親方だ。そういう固い人だから、自分のすることも実にまっ正直な人。あるとき場所中、表にじっと立っているから、

「親方、そんな所で何してるんですか?」
「弟が札がないんでね。私が札を買って待ってやるんですよ」
「クラブに連れて行って、入れてやったらいいじゃないですか」
「いや、そういうことははなはだ悪いことです。一人でも、ただで入れるなんということはいけません」

 自分の弟が相撲を見に来るのを、表で切符を自分で買って待っているという、バカバカしいほどのもの固さだから、さすがの大久保さんも、この人にだけはそう乱暴なこともいえなかった。

不意に現われた女客

 新聞記者クラブの席でもいつも一つか二つはあいていたが、大久保さんがその通りうるさかったし、その上、武蔵川というコチコチの親方がいるしするので、記者先生でさえ、そこにお客を連れてはいるなんということははとんどなかった。

それにもともとクラブの規約として、女は絶対に禁止しておった。ところがあるとき、新米の記者さんで、警視庁詰とかだった相川さんという人が、そんなこととは知らずに、仲居か何かを三人ほど連れて来た。大久保さんがずっと見て歩いていると、クラブの席に芸者みたいなのがすわっている。

「クラブの席にへんな女がすわっているが、あれはだれが連れて来たんだ?」
「知りません」
「調ぺて来い」
 こっちは実は知っているんだから、
「間違ってはいったんでしょう。間違ったんだから、出したって行く所がありゃしません、まァ放っておきましょう」

「なにッ、そんなことがあるもんか。おれが行って来る」 大久保さん自身で出かけて行って、
「お前さん方、どこから来たんだい?」
「相川さんに……」
「なに、相川だって……オイ太郎、相川を呼んで来い」

 相川さんはさんざん油を絞られる。
「クラブの規則を何で破った。大体クラブの席に女を入れるなんて、見っともないじゃないか」
「いや、そんな定りがあるということは知らなかった」
「知らなかったといわさない。お前たちはいる時に聞いているはずだ。あんな女なんぞを入れて、クラブの体面を汚すことはなはだしい」

とか何とか、怒鳴り散らしている。この事件はその後もめてもめぬいたが、結局のところ岩田愛之助さんが仲裁にはいった。岩田さんは、
「何しろ相川さんは知らずにやったことだから、何とか勘弁してもらいたい」というわけで、相手が岩田愛之助さんなんで、ようやくそれで大久保さんも得心した。

 ところがその後で、大久保さん自身の女のお客がやって来た。向島の待合いのおかみか何かで、大久保さんが出まかせか何かしらないが「相撲を見せてやるから来い」ぐらいのことをいったらしい。

その女が来たんだが「きょうは見る所がないから」と断わる訳にもいかない。しかも前に、相川さんに怒鳴っていなければ、まだ何とかしようもあったが、さんざん怒鳴って岩田さんまで煩わした後だから、もちろんクラブの席に入れるなんということはとんでもないことだ。もちろん桟敷も何もない。大久保さん、にが虫かみつぶしたような顔して弱っている。

御馳走が何と蜜豆

「大久保さん、国技館の大久保さんといわれる人が意気地がねえなア」と、冷かしてやった。
「いや、何といわれてもだめだ。きょうというきょうは頭を下げるよ」
「大久保さんのそんな顔見ちゃいられねえ、おれが何とかして上げましょうか」

お前、そんな大きなこといって、何とかなるかい」
「なるかならねえか、太郎の腕を見てくれといいたいね」
「そうか、そんなら太郎、何とかしてくれ、一生恩に着るよ。これからお前のいうこと、何でもきくぜ」
「よしッ、おれがひとつ、何とか工夫して見やしょう……」

 桟敷の向こうの方へ行って見ると、死んだ九重親方がすわってバカ話をやっている。これはシャモという席、そこで見ている。話していたが、そのうちに立って行った。その後へ行って、その席にちょっと朱肉を押してしまった。しばらくすると親方がやって来て、マゴマゴしている。
「おかしいなアおかしいなア」と、やっているから、

「親方、調べて下さいよ」
「いや、これは一つ余計だ」
「余計だということはないですよ。これはクラブヘやらなくちゃだめですよ。クラブがうるさいから……」
「へんだなア……だけれどこれがあるんだから……」

 とうとうごま化して、そこへ席を取っちゃった。さっそく待合のおかみとその他四人をそこへ連れて行って、
「何か聞かれても黙っていなさいよ。奥さん、大久保先生が席をくれましたから……」

 そこへ女人をすわらしてしまった。あくる日相撲がはねると「太郎、うちへ来てくれ」というからついて行った。奥さんに、
「オイ、国技館の太郎を連れて来たぞ。これな、おれの親分みたいな人間だから、粗末な扱いをしちゃいかン」
といって、蜜豆なんぞを御馳走してくれた。

そんなふうだったが、いつでもこの人、ゼニは持っている。それもそのはず、当時の布団代は十銭で、土俵溜りに布団十枚つけるんだが、全部売って三円四十銭の布団代をちゃんと預かって、その分を大久保さんに持って行くと、黙ってみんな持って帰ってしまう。日に三円だが十日には三十円だ。それで終わりの日に、私にはいつも五円
しかくれない。

 私は、記者クラブ詰は一場所という約束だったが、どういうものか、それから後の場所ごとに、外の者は誰も要らないけれども、太郎だけはどうしてもよこしてくれという。

藤島(先出羽ノ海)さんなんかも、どうして太郎がいいのだろうというが、不思議に、どんなに私がいやだといっても、そんなことをいわずに来てくれということで、ちょうどあそこへはいってから何十年になるだろうか、今日まで、一場所も体まずにこのクラブ詰をやって来たわけである。

ベースボールマガジン社
呼出し太郎一代記、ページ192〜205、第七部、再出発、後編
挿絵、伊藤豊一画

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