呼出し太郎一代記、7

前原太郎

四、浮き沈み、前編

漂泊やくざ渡世

 こうして私はとうとうヤクザの仲間入りをしてしまった。私としては、何も進んでヤクザになるつもりはなかったのだが、周囲の状勢が私をこんなふうにしてしまったのである。こういえば、私がヤクザになった弁解をしているようにも聞こえるだろうが、事実そうで、何も朝鮮くんだりでヤクザになる必要は少しもなかった。

 晴れて親分子分になると、私はもう相撲取りたちのための呼出しではない。親分は居候の相撲
取りを集めて、
「太郎は今日からうちの若い者になったからな。今までのように、お前たちが太郎を使ってくれ
ては困る。それから『オイ太郎』などと呼びすてにするのも、今日をかぎりにきっぱりやめても
らうよ」

と、いい渡した。この時ばかりは、私もヤクザになりがいがあったと、溜飲の下がる思いで、い
つまでたってもうだつの上がらぬ呼出しをやっているより、この世界のほうがよっぽどいいや、
と一人悦にいった。

 ヤクザになった私が、親分から命じられた仕事はパクチ場のテラ箱の番人で、このつとめは親分が信用している人間にしかやらせないものである。それというのは、このアガリが親分の第一番の財源となるからで、前にも書いたとおり、吉田親分の私への信用は大変なものだったから、いきなりこの大役を仰せつかったんだろう。

 テラ箱の番人という仕事は実に楽だった。毎晩バクチ場へ顔を出していればそれで役がすみ、
しかもそうするだけで、毎晩三円から五円の身入りがあったのだから、ボロい収入だった。世上
に、乞食をご三日したらやめられぬという言葉があるけれど、ヤクザはそれより楽に金がもうかっ
た。だから、私はこんないい商売はないと、三日、四日と日が経つうちに、もとの相撲のことな
んかすっかり忘れてしまった。

 だがそのうちに、私はひとかどのヤクザぶって、料理屋遊びをするようになり、せっかくのボロいもうけを一銭も身につけないで、逆に借金をつくる身になった。そのころ三円、五円といえば大した値打ちがあったから、それだけの金で遊ぶということは大尽の豪遊で、若い私は周囲からチヤホヤいわれるのにいい気になって、つい遊びにもエラく深入りをしてしまった。

またまた夜逃げ

 借金は、ちょっと油断をするとすぐ増える。さすがの私でも、借金取りには閉口で、どうしようもないので親分にこのことを正直に打ち開け、どうしたものかと知恵の拝借に及んだ。
「しょうがないやつだな。もうこれからこんなことをしてはいかんぞ。まあお前はこうして正直にいうからいい。それに免じて、お前に一つ金をもうけさせてやろう。それで借金をきれいにするんだな」
と、忠告した上で、親切な心づかいまでしてくれた。その金もうけというのは、実は私に、女義太夫のうけ元をやれというのであった。うけ元、すなわち相撲でいう勧進元である。私は今までに随分と興行はして歩いたが、勧進元をした経験はない。だから、もちろん自信がない。それで、
「私にはとうていやれそうにありません」
と断わった。すると親分は、
「何をいう。お前ほどの度胸っ骨のすわっとるやつに、やれんはずがない。ワシがうしろ楯になってやるからやってみろ」
とすこぶる強硬で、
「金は出してやる。また、小屋も借りたのじゃそれだけ高くつくから、うちのバクチ場を開放してやる」
とまでいってくれた。これではもう、私としても断わりようがない。
「親分がそうまでいって下さるのでしたら、私には成功する自信はありませんが、私の男をかけてやってみます」
と、オズオズしながら引き受けた。ところで、

その太夫というのは、まだ十か十一の子供だったが、しかし、なかなかいい声を持っており、声が売り物の私でさえほれぼれするくらい。名前を竹本大八といった。十か十一で大八というのが妙である。
 小屋をどうするという心配がなかったので、私はまず切符の売りさばきに苦心した。どこへ持って行ったら売れるのか全然見当がつかないので、方々伝手を求め、また、親分の名を借りて売って歩いた。おかげで売行きは上々だった。やがて、私の運命を決する日がやってきた。切符は売れていても、はたしてどれだけの人が来てくれるか、気が気でならない。ところが、そんな心配は無用だった。準備した座敷はぎっちり満員でふくれ上がり、大成功というところだった。

だが、実はそれが、大成功ではなかったのである。人ははいってくれたけれども、いざ切符の売り上け高を勘定すると意外に少ない。ロハ客が多かったのだ。だから、収支の計算をしてみたところ金が残るどころか、かえって準備のために使った金のほうが多くて、けっきょく借金がかさむばかりだった。

これでは、なんのために義太夫の勧進元をやったのか意味をなさない。金を出してくれた親分に申し訳がたたないし、今度義太夫をやったアガリで借金を支払うといっておいた債権者にも顔向けできない。二進も三進も動きがとれなくなった私は、
「これは夜逃げにしかず」
と考え、開城までの汽車賃とわずかの小遣銭を残して、残りの金を全部債権者にばらまき、
「少し足りませんが、それはまだ切符の入金が、全部集まらないからなのです。二、三日のうちに残りも必ず払いますから、今しばらくお待ち下さい」
とだまくらかして、かねて目論んでいた開城へと逃げ落ちた。あれほどまで、私というものを信用してくれていた吉田親分には、はなはだ申し訳ないかぎりだったが、この場合の私にとってこの脱走はやむをえぬ処置で、私としてもどんなにつらかったか、その時の気持は、今ここで簡単にはいいつくせない。

 すまない、つらいと、そんな気持になるのなら、何も逃げなくともいいじゃないか、といわれるだろうが、しかし、今までより以上の借金をつくってしまった以上、もうじっと落ち着いていることができない。今度の脱走も、もちろん私の落度から出たのだが、当時の私としては万やむをえぬ夜逃げであった。

床屋での居候ぐらし

 さて、開城へとやって来たものの、ここでもまず職に困った。人間食わなきゃ死ぬのだし、食うためには働かねばならない。働き口というやつは、そこいらになんぼでも転がっていそうにみえて、いざとなるとなかなかないものである。

 今までは職がなくとも、居候という手が使えた。だが、相撲取りとはなれて私一人となってしまっては、もう「相撲の一行ですがよろしく」といって泣きついて行く相手がない。そうかといって、覚えたばかりのヤクザの仁義をきるのも良心がとがめるし、こればかりは、いくら考えたって名案が浮かぶものではない。そこで私は、

「クソッ、こうなっちまえばもう後はなるようにしかならんのだ」
と、すっかりヤケクソになってしまい、出た所まかせに目にはいった髪床へ飛びこんだ。ところが不思議なことに、こうして飛び込んだ髪床に面白い仕事が私を待ちうけていた。話は、こうである。私は髪を切ってもらいながらも、なぜか落ち着かなかった。それというのも、何か職をみつけなけりゃ、という気のあせりがあったからで、うかうかしていたんじゃ今晩の御飯にもありつけない。

そこで私は、誰にでもすがりたい気持になって、床やのオヤジさんにかけあってみた。
「オヤジさん。実はワシは相撲のもので、呼出しをやってたのだが、一行においてきぼりにされたんだよ。朝鮮は景気がいいというので、この四月に内地からはるばるやってきたのだが、来てみると話とは大違い、えらい不景気で相撲は不入り続き、お陰で一行においといても間にあわんというやつはクビ切りさ。
ワシもその一人で、それからというもの、あっちこっちとほっつき歩き、皆さんの情けにすがって食いつないできたけれど、そんな乞食みたいな毎日を送るのがイヤになってしまったんだ。どうだろう、ワシにやれるような仕事口はないもんかな?」

 しばらく、けげんそうに私の顔、体を見ていたオヤジは、
「よしよし、オレが世話してやろう。しばらくうちにいなさい。きっといい仕事口を見つけてやるから……」
 簡単に引き受けてくれた。

 私は、この親切な言葉に甘えて逗留することにした。そして一日が経ち、二日が過ぎた。ところがオヤジは、私との約束などすっかり忘れてしまったのか、いっこう仕事口を見つけ出してくれない。だがそうかといって、私から早くさがしてくれとも切り出せず、髪床の見習いとも、なんとも格好のつかないままに、奇妙な居候生活が五日ほど経った。

落ちるところまで

その五日目のことである。
「太郎とかいったな」
とオヤジが急に開きなおって切り出した。

「どうだい。今夜あたりから、そろそろ仕事に出かけてみるかね」
私はびっくりした。今夜から出かけるとは一体何だろうか。さっぱり見当がつかない。オヤジは、至極ゆったりとした口調で、
「お前にやれるかな?」
と続ける。いよいよわからない。「タ方から出かける仕事、ハハア!ここで私はやっと気がつ
いた。と同時にドキリとした。ドロ棒(?)そうとわかると同時に私は、
「ヒヤァー」
と身ぶるいが出た。そして、とうとう行きつくところへ落ち込むのかと、少々ならず寂しくなった。だが考えてみると、そんなことでもしなきゃ食っていけない。ええい、飯が食えるか、食えんかの境目まで来てるんじゃないか。目をつぶってやってやれ、ビクビクしていたのでは何もできないぞ、と、胸の奥底からこんな気持が湧いて来て、
「ああ、何だってやれないことはありませんよ」
と、簡単に返事した。さて、タ方になってオヤジは、
「さあ、ぼつぼつ出かけようかな」
と、用意をし始めた。私に、これを持ってくれと差し出したズックのカバンには、煙草二箱と何のためのものかローソクを二本入れてあった。その他の持ち物はシャベルー丁と、これはまた奇妙な、長さ一間ぐらいある細長い鉄の棒……。
「変な物も持っていかせるな。こんな物を持って一体どこへ忍び込むのだろう。それともワシの考えていることとは全然違う仕事か?」
と、一人で自分の胸に聞いてみた。

 その日は店を早じまいした。オヤジと私は夕飯を早目にすませ、七時過ぎに家を出た。私には何をしにどこへ行くのか皆目見当がつかない。ただ武者ぶるい(?)するばかりで、オヤジの尻からヒョロヒョロとついて歩いた。

 街を出て田圃の中へはいった。これで、私はますますわからなくなった。一体どこへ何をしに行くのか。目的地はまだ遠いのか?オヤジは歩度を速める。こうして二人は、三十分ぐらいも歩いたろう。たどり着いたのは小さな山の近くだった。私の見当はすっかりはずれた。
「オイ、ここを掘るんだよ」
と、オヤジはいう。まるでおとぎ話に出てくる花咲爺だ。さて、仕事は、まず例の一間の鉄棒で、およそ見当をつけたあたりの土をつく。オヤジの顔は真剣そのもので、顔にはぎらぎらと油汗がにじみ出ていた。

死人の墓掘り?

「うん、こいつだ。太郎、ここを掘れ!」
 やっと目指す獲物をかぎつけたのか、オヤジはこう命令した。私はオヤジの気勢につられて、一生懸命土を掘った。三、四尺掘ったところ、シャベルが何か異様なものに当たって、カチンと鳴った。オヤジは、
「あった、あった」と大喜び。

「よし、後はワシがやる。お前ローソクに火をつけて、この中へ燈りを向けるんだぞ」
こういうと、私に代わって土を掘りだした。その掘り方はおそろしくていねいだった。シャベルに余り力を入れないで、まるきりはれ物にさわるみたいに……。
しかし、土から顔を出した代物を見て、オヤジの慎重さに合点がいった。それというのは、出てきた品物が、−−割れ物の茶碗や皿だったからである。これをみた私は、
「チェッ」
といささかむかっ腹がたった。そしてオヤジに、
「なんだ、こんなつまらんもの」と不平を申し立てた。私の胸の中は、
「こんなガラクタを掘り出すために連れて来やがったのか」
という気持で、にえくり返ったのである。
ところが、オヤジは掘り出した茶碗や皿をたいせつにかかえこんで、
「お前は知らないからそういうんだ」
といって、ていねいに土をはらい、

「これはな、今でいう高麗焼なんだ。お前にこういったって、それがどんなに値打ちのあるものかわからんだろうが、一つが三円、五円で売れるんだぞ」
と教えてくれた。これには、私もタイヘン驚いた。こんな土くさいものが金になるとは、世の中には物好きな人間もおるものだと感心もした。そこでオヤジに聞いてみた。

「なぜそんなに値打ちがあるんですか?」
「うん、これがか。それというのはこの茶碗や皿が、昔太閣さんがこの朝鮮へ攻め入った頃の古
い焼物だからなんだ。もっと焼きが悪かったら、今ごろボロボロになっとるところだが、焼きがいいからな、そこが値打ちなのだ」
「よくここに、そんなたいせつな物が埋まってるのを知ってましたね」

「そりゃすぐわかるよ。ここは昔の墓場なのだ。もう相当年数がたっているので、普通の野山と変わりはないが、昔は墳墓といって偉い人が死ぬと、その死骸を埋めるのにこんな小山をつくったんだ。そして墳墓の中へ、その人が生前使っていた物を全部いっしょに埋めたものなのだ。

だから、今掘り出したこの焼物は、みんな相当な値打ちがあるんだよ…」
これを聞いて私は、またむらむらとかんしゃくが立ってきた。そしてオヤジをつかまえて、

「おいオヤジ、こんな仕事は御免だよ。いくら年月がたっているからといって、死んだ人の墓を荒すとはなんということをするんだ。オヤジぐらいの年になればしてよいことと、悪いことのケジメぐらいつくだろう。それにな、オレはこれからまだ将来のある体なのだ。この先、もしエラい人間になった時、『あいつは昔死人の墓掘りをして、物をかすめたことがあるんだ』なんてことをいわれたら、オレとして大いに困るからな。オレは帰るよ。まあゆっくりやっていってくれ」
といってやった。オヤジはすっかり色をなくして、
「いやいやワシが悪かった。謝まるよ」
と手を地面につき、
「先に帰らんでくれ。これをみんな元通りにして行くからな」
と例のガラクタを、掘り返して穴の中へしぶしぶ放りこんだ。オヤジとしては、こんな暗闇で一人にされるのが心細かったのだろう。

朝鮮人参の泥棒話

 こんな事があってから一か月ほどが過ぎた。その間私はどこへ行くというあてもないので、虫の好かんやつとは思いながらも、まだべんべんと、その床屋の居候になっていたのだが、ある日のことオヤジはまた、
「面白い仕事があるんだがな」
ともちかけてきた。前にあんなことがあったので、今度は私もすぐにはその手にのらず、

「面白いって一体なんだい?」
と聞いてみた。すると、
「人参を盗みに行くんだよ」という。
このオヤジよほど性が悪かったらしい。そう聞いて私は、「いやだよ」
と一蹴した。ヤクザの世界へ飛び込んだ経験があるので、一宿一飯の恩義は感じていたが、こんな悪らつしごくな仕事の片棒をかつぐ必要はなかろう、と私はそう思って、断わったのである。

そして、もう一つの大きな理由は人参泥棒というやつは、朝鮮では一番に罪が重く、もし捕まえられると強盗罪になって、二年以上懲役に服さねばいけない。私として貴重な人生の二年間を刑務所で過ごしたくはなかったから、オヤジの頼みをけったのである。

 ここでいう人参は、畑のものではなく、いわゆる朝鮮人参の名で呼ばれる強壮剤のクスリになる人参の方で、これをつくるためには、人参を六年も乾燥しなければならない、この仕事は政府の専売となっており、そこで乾燥物はぐるりを高い塀でとりかこんで番人を置いてある。そんなところへ忍び込んで盗ってくるのだから、強盗罪となるのはあたりまえだろう。

 どんなに落ちぶれたって、ただ泥棒の汚名だけは残したくないと思って、床屋のオヤジの頼みは見事にけっ飛ばしてしまったが、さて、こうなるといつまでものんべんだらりと、そこの居候をしているわけにもいかない。

 どんな難題をふっかけられないとも限らないので、こんな所に長居は無用と、さっさとここを飛び出してしまった。飛び出したのはいいが、行くあてがあるわけじゃない。しかたがないから、再び兼二浦の親方のところへ頭を下けて詫びを入れた。前にも述べたように、親分吉田さんは非常に物わかりのいい人だったから、

「よし、お前がほんとうにその気になって、一生懸命働くんだったら、おれが一ついい権利を取ってやろう……」
といって、一つの仕事を世話してくれた。兼二浦というところは小さいながらも港だから、船がはいって来ると雑貨や、その他の商品の荷揚げがたくさんある。いわゆる、その沖仲仕の仕事を、朝鮮人を使ってやっていればいいので、親方の計らいで、私はさっそくその仕事をやらせてもらった。

で、しばらくはこの仕事でどうやら真面目に働いていたが、だんだん慣れっこになって来るとソロソロ地金が出て、とうとうまた、女出入りの大失敗をやってしまった。

ベースボールマガジン社
呼出し太郎一代記、ページ85〜99、第四部、浮き沈み

挿絵伊藤豊一画


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