呼出し太郎一代記、8

前原太郎

四、浮き沈み、後編

一転して沖仲仕

何しろ兼二浦では、前にさんざん遊んで借金だらけになって逃げ出したくらいだから、今度帰
って来て少し落ち着いてみると、あっちの料埋屋、こっちの料理屋で知った顔の女が、「太郎さん、太郎さん」とチヤホヤする。こっちもいい気になって、少々鼻下長になっていると、ある料理屋でひとりの女に引っかかってしまった。

その女は中村タキという名前で、前にいた時分から知っている。その女が、
「うちのオヤジはバクチの借金のカタに私を置いて、行方不明になっちまった。私は一人ぽっちの寂しい身の上よ」
と口説くもんだから、ついフラフラといい気持ちになって、小遣いをやったり、病気になればいろいろ世話をしてやったりしてヤニ下がっていた。

そうこうしているうちに、その亭主という男
が帰って来やがった。
 亭主にしてみれば、久しぶりに自分の家に帰ってくると、女房はへんな若造とよろしくやっているもんだから、怒ることか怒るまいことか、すったもんだの大もめの挙句、とうとう表沙汰の告訴をしてしまいやがった。兼二浦には巡査派出所があって、巡査が一人しかいない。狭い所だから巡査の方でも、お互いによく知り合っている顔だから、その巡査が、

「今夜二人でおれの所へ来い」
と、内緒で私と女を呼んで、これこれかくかくで、お前ら二人の告訴状が出ているぞ、ヘたすると大へんなことになる。しかし、まァ何とかうまい具合にさばいてやるからおれに任して置け、という話……。

「そうですか、それは飛んでもないことになりました。どうかまあよろしくお顧いします」と、巡査にすっかり頼んで、裁判所に出頭することになった。
裁判所といっても、兼二浦にあるわけではない。何というところだったか今は覚えていないが、何でも汽車に乗って行って、一時
間ぐらいかかるところにあったので、巡査と私たちと三人、恐る恐る裁判所へ出頭に及んだ。向こうの大将も来ている。黙って暫くにらみ合っていた。

珍妙な金二円問答

 裁判官が出て来て、
「お前が太郎というのか?」
「ハイ」
「お前は中村タキという女を知っているか?」
「ハイ、知っています」
「その女ととお前と、どういうわけでいっしょになったのか、詳しくいってみろ!」

と、なかなか鋭く訊問されるものだから、いい加滅な返事もできない。これはうっかりしたことをいうよりも、真面目にぶちまけちやったほうがいいと思って、

「どういうわけっていったって、実は私はもと兼二浦におりましたが、失敗したので暫く他所へ行っておりました。最近また兼二浦に帰って来ますと、もともと知っておりましたこの女が、一人で料理屋におりましたんで、いろいろ聞いてみると、この女の前の亭主というのが、バクチで負けてこの土地にいられなくなったので、どこかへ逃げちゃった。その借金のカタに、この女を料理屋へ入れたということで、二人の話し合いでいっしょになったようなわけですが…」

「そうか。それではこの女の借金というのを出したのか?」
「へえ、たしかに出しました」
「幾ら出した?」
「二円出しました……」
 その当時、兼二浦の相場が、一晩の花代金二円だったのでそう答えると、

「コラッ、二円で去年の十一月から今年の三月まで流連(いつづけ)したのかッ!」
と、えらくおどかされてしまった。そこで、私もここでひるんじゃならんと思って、

「冗談おっしゃっちゃいけません。去年の十一月から今年の三月まで、たった二円で料理屋通いをしたんじゃありません。二円というのは、最初に料理屋へ行った時にわたした金で、二度目に行った時に、亭主がバクチでどっかへ逃げちゃったという話で、それからというものは、女は病気をすれば医者にもかけてやる。小遣いも十分にやったので、亭主どんが帰ってくれば、こっち
がかえって貸し金をもらいたい方なんです」
と、まあこういってやった。

すると判事が、
「そうか−−コラッ!」
と向こうの奴さんを呼んで、
「お前は、どうして家内を兼二浦へ置きつ放しで逃げて行ったのか?」
「ヘえ、実は少々失敗しまして、どこかいい口がないかと思って奉天の方へ行きました。幸い奉天で堅いいい勤め先ができましたから、家内を迎えにやって来ました。迎えに来てみると、あの男といっしょになっていて、奉天に行こうといってもいっこうに動きません。しかたがないからこの告訴を出しました」
と、くどくど弁解するものだから、あべこべに判事におどかされ、結局判事のほうでも、

「こういうことは本官ではだめだから、お互いに話し合って示談にしろ」
とつっぱねてしまった。私らも、いつまで裁判所にいるわけにいかないから、示談をすることにして、また三人で兼二浦に帰って来た。大将もいっしょに兼二浦に来たけれども、そうなると今度は、はたの者が承知しない。兼二浦には親分の関係で、私を見てくれた代貸しの三宅という人がいて、そういう連中にその奴さんがかえっておどかされて、大将はとうとうその女を置いて、今度はどこかへ本当に消えてしまった。

彼女のくれた百二十円

 さて、この告訴事件はこれで片がついたけれども、それからがたいへんで、今度は反対に、その女を私が質に置くようなことになってしまったのである、というのは、当時平壌に伴梅吉という親分がおって、みんな世話になっていた。その人が平壌から、わざわざ兼二浦にやって来て、

「太郎さん、頼みに来た。というのはほかでもない、こんどうちの方でバクチ場ができる。花会みたいなものができるという通知が来たんだけれども金がねえ。それで困っちゃった。何とかならねえかと思って頼みに来たんだ」

「そいつあ困ったなァ。何とかしろったって何ともしょうがねえ、ここにあるのは女だけだ」
「そうか。じゃしょうがねえ、ひと晩すんだらすぐ返すから、その女を貸してくれ」
ということになって、いやがる女を連れて行って、平壊の警察前の一二三(ひふみ)という料理屋に、ぽ−んと抵当に入れてしまった。いかに朝鮮だとはいえ、ずいぶん乱暴な話で、私もこの年になるが、女を抵当に入れたなどというのは、後にも先にもこの時よりほかにない。

 それはともかく、その料理屋から借りた金の中から、三日という約定だから金十円を女にやった。一晩二円ずつあれば、お客を取らなくてもすむのだから、金十円あれば五日は黙っていられる。そのうちには、必ず受取りに来るからと漸く女を納得させた。ところが、悪いときには悪いもので、せっかくそれまでにしてこしえた金も、伴梅吉先生、そのバクチの花会でそっくり取られてしまって、一文もないのだから、五日経っても、女の身請けができないという、まことに情けないことになってしまった。

「親分、何とかしてくれなくちゃ、あの女のことだからたいへんなことになる。どうにかしておくんなせえ」
「何とかしてくれったって、ゼニがねえんじゃしかたがねえ。負けちゃったんだから、手も足も出ねえんだが、ここに二円あるからこれでも持って行ってくれ……」

 こういわれては、もうどうにもしょうがない。その二円を持って六日目に、その一二三に行っ
てその晩泊った。
 そうこうしているうちに、何とかかんとかして、やっと集めて五十円の金ができたので、この五十円で女を請け出そうとたくらんだ。年は若いし、バクチはするしで、悪いやつばかりそろっていたものだから、五十円持って料理屋へ出かけて行って、「何とかこの金で、あの女を身請けさしてくれ。これこれこういうわけで、どうしても請け出さなくちゃ困るんだ。金ができれば残りの分はすぐ返すから……」
とオヤジにじか談判した。オヤジもしかたがないものだから、それだけの金で、しぶしぶながら女を帰してくれた。

 さて、そうして女を請け出しては来たものの、女を置く所もない。私一人はバクチうちの仲間入りで親分の家にはいたけれども、働くこともできないし、むろん金はないし、これでは飯が食えない。よくよく困ったある日のこと、その女が、

「太郎さん、これじゃしょうがないから、あんたは東京の家へ帰んなさい。私はあんたを思い切って、どうにもしょうがないからあそこの家へ行く。東京へ帰って金ができたら送ってちょうだい。それも、できなければいいわよ」
と、今度またぞろその科理屋へ行って、あっさり百二十円貸してもらってきた。

異境の空で甲種合格

 当時、平壌から東京までの汽車賃が十九円だったから、それを出しても百円残る。
「あんたがこの金を持ったら、きっとまたバクチをうつことはわかってる。わかってるけれどし
かたがない。どうかこれをもって、とにかく東京へ帰んなさい……」
と女にいわれたが、若気の至りというやつは、性もこりもないものだ。その金を持って、平壌から兼二浦に舞いもどって、料理屋に行ってバクチをやった。そういうことというものは、どんな田舎でもすぐ知れ渡るもので、それが間もなくその女の耳にはいったものだから、女はえらい御立腹だ。

「太郎の野郎、人の苦労も知らないで…。ただじゃ置くもんか!」
とばかり、たいした勢いで、出刃包丁を持って暴れ込んで来た。これには、さすがの悪太郎も全く縮み上がってしまった。みんなもびっくり仰天、大あわてにあわてたが、放っても置かれないので、みんなで「まあまあ」となだめすかして、やっと平壌へ帰したというような始末だった。

 こうして兼二浦で、ヤクザのでたらめ生活がだらだらと続いたのだったが、あまりに道楽が過ぎた報いで、とうとうX病をしょってしまった。兼二浦なんという所には大した医者がいるわけでもないので、何とかいう漢薬を買ってきて、早く治そうと思って一週間分を三日で飲んでしまった。そうしたら、こんな薬でもよく効いたものとみえて膿は、ぴたりと止まったし、痛みもすっかりとれ、X病のほうはきれいに治ったんで、こいつは大したものだといい気持になっていた。

 私はその時分から、毎日床屋に行かないと気がすまながったほうだったが、そのX病が治って四、五日して、いつものように床屋へ行って鏡を見ると、小びんのあたりがちょっぴりはげている。「こいつはおかしいなあ」と思って、そこらの頭の毛を引っ張ってみると、ボロボロと毛がみんな抜けちまう。まるで芝居の「四谷怪談」のお岩さまを、男でやるような格好だ。

「あっ、こいつはいけねえ」
と、いっているうちに、とうとう髪の毛が一本もなくなって、たちまちほんとの丸坊主になってしまった。が、とにかく、月日の経つというのは早いもので、兼二浦でそんなバカな生活をしているうちに、いつしか私も徴兵適齢の二十一の春を迎えていたが、ちょうどその頭の毛が一本もなくなったところへ、運悪く兵隊検査の通知が来たのである。

さすがの私も、こんな弱ったことはない。頭は丸坊主で、人前に出るのでさえも気が引けるのに、兵隊検査に行かなければならんということは、これはとんでもないことになったわい、何としたものだろうかと、思案投げ首のていだったが、どうしたって、検査という以上これは逃げるわけにいかぬ。うんと油をしぽられることは覚悟の前で、泣く泣く私は平壊まで検査を受けに行った。いよいよ検査場へはいって、軍医が私の身体を見ると、当時非常にいい身体をしていたものだからしきりに、

「いい身体だ、立派だ」
と、ほめてはくれたが、
「お前、一体その頭はどうしたんだ?」
と来た。さアおいでなすったと、こっちはかねて覚悟していたところだから、
「実は病気をして、薬を飲み過ぎたもんですから毛が脱けてしまいました」
「ウーム、X病をやったんだろう、この野郎ッ!」
とばかり、さんざん油をしぼられた。けれども身体はすこぶるいいものだから「いい身体だなア」
といって、褒めながら、
「だけどこの頭じやしょうがない。こいつは来年回し……」ということになって、ともかくも、その時は甲種合格の判を捺されてしまった。

柳原でのシュラ場

いつまでも朝鮮でヤクザの仲間入りをしていても始まらないし、せっかく女が身を売ってまでも示してくれた好意を無にするのもと思い返した私は、これを機会に、ともかく東京に帰ることにした。女は百二十円という、その当時としては相当な大金をくれたのだが、もうバクチその他で半ばすってしまい、汽車賃を払うと余すところ幾ばくもなかったが、どうやら本所二葉町(今の墨田区亀沢町の一角)の我が家へ帰ることができた。

 家にもどる早々、何しろろくな着物もないものだから、柳原へ古着を買いに飛び込んだ
「この帯、何ぼだんね」
「へえ、お安くいたしまして、二円二十銭ではいかがでしょう?」
「さよか、ホンならそれもらいまっさ」
というような具合で、長いあいだ関西地方を歩いて来たもんだから、つい習慣で関西弁で買物してへ帰って来た。ところが、家でよく広げて見ると、その帯に大きなシミがある。早速引っ返して、

「この帯にはこんなシミがあるから、他のと取りかえてくれ」
と突っ返したところが、番頭のやつ、大阪者と思いやがって、
「上方じゃ取りかえるかもしれねえが、江戸じゃ一たん買い取ったものはもう駄目さ、そんなことはできねえよ」
と大きな声でどなりゃがる。それでもこっちは、
「そうだっか。そいでも買う時にはシミも何もない。家へ帰ってそんなシミのあるような品物やったら、お金は返すといったやおまへんか?」
「何をいうか、やかましいッ」
とおどかしやがった。さアたいへんだ。こうなると、カーッとなってたちまち本性を現わし、

「ヤイ番頭ッ、もう一遍いってみろ。ふざけるなッ、上方もんだと思ってナメやがるナ。バカヤロー。おらァ食いつめちゃって、あっちこっち飛び回ったが、タマサカ江戸に帰って買物すれアこのざまだ。シミなんざア一つもござんせんなんて、大きなことをぬかしゃがって……取りかえてくれと下手に出りゃア、あべこべにおどかしゃアがる。ヤイ番頭ッ、逆さになって謝まらなきアこのうちたたッこわすがどうだッ」

と、啖呵を切って、ドンドン座敷へ上がってやった。番頭のやつ、びっくりしやがって、真っ青になってブルブルふるえている。

 −−その時分の私は喧嘩が好きで、界隈で喧嘩だというと「あッ太郎じゃねえか」と、近所隣りの人がいうくらいだったから、古着屋の番頭なんぞが相手では、まるで子供扱いのようなものである。

 当時でも現在でもそうだが、相撲社会で私らの商売をやるのには、ただおとなしくしていたのでは、とても勤まらない。現在でも夜中の十二時にトラックに乗って行って、朝の四時五時に起きるのだから、おとなしく、甘いことばかりいっていたのでは、仕事にならぬ。だから、昔でも今でも、若い者はたいていいっぺんずつは私にぶたれている。いっぺんずつぶっておかないと、いうことをきかないから……。

 その頃ちょうど、両国の国技館が普請最中であったので、私も暫くおとなしくして、お詑びのかなうのを待っていた。じっと待って、その時お詑びをしてしまえばよかったのだが、それが持って生まれた性分で、どうにも辛棒ができない。岐阜へ行けば吉田の親分がいる。親分の家へ行けば、バクチうちの若い者が必要であることもわかっているものだから、ついうかうかとその気になって、またぞろぷいと東京をあとに岐阜へ飛び出してしまった。

ベースボールマガジン社
呼出し太郎一代記、ページ99〜112、第四部、浮き沈み
挿絵、伊藤豊一画


五、人間裏街道、前編へ行く

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